2012年1月20日金曜日

プレイバック・シアターについて

2月4日(土)、森の学校にてプレイバック・シアターという場をひらきます。
ジャンルでいうと演劇の授業になるのかな。プレイバック・シアターは、僕も未体験ではじめてのこと。昔の映画をみんなでみるの?というものではなく。集まった人のキヲクやオモイデを聞かせてもらう(プレイバックして)、そのシーンをその場で即興で演じてみる(シアター)というもの。キヲクをその場に放った人は、託されたその場の人が演じてくれるのを見る観客になる。キヲクを話す側にも、演じる側にもなれる。
講師の方の前半のいろいろなワークをとおして、参加者がコミュニケーションをとる。その場の緊張のほぐれ具合で、自分のなかのキヲクをどこまで、その場に放てるのか、その人達に託せるのか変わってくるのだと思う。

僕のなかにも、あの日から止まっている時間や、今も戻りたいと思う時間のキヲクが存在しています。それを、その日、自分の中から引っこ抜いて、放ってみたらどうなるのか。そのままに放ったらかしにしていた時間が動きだすのか、と想像しています。

輝いてい残っているオモイデでも、なんとなくひきずってしまっていて前に進まない止まったキヲクでも、その日、持ち寄ってみて、解放して、自分がどんな変化を起こすのか、その場にゆだねてみませんか。


プレイバック・シアターの授業についてはコチラより
プレイバック・シアター in かわなべ森の学校

2012年1月14日土曜日

プレイバック・シアター in かわなべ森の学校





手放す、そして分かち合う


生きていると、いろんなことがあります。
みんなに話したくなる嬉しいこと、
誰にも言えないつらいこと、
忘れたことすら思い出せない、とても大事な夢のこと。

いつのときも、思いもよらないことが起きました。

それでも訪れる毎日を、休むことなく記憶に変えて、
私たちは〝今〟を歩んでいます。

そうやって積み重ねられた無造作な記憶たち、
自分を象る(かたどる)記憶たち。

成長した今、そのひとつをそっと引き抜いて、
手放してみませんか。

 あなたの記憶を、
 みなさんが演じます。
 あなたの人生を
 みんなで分かち合います。
 
 場に放り込まれた一片の記憶。
 それはやがて彩られ、動き始め、躍動します。
 かけがえのない、みんなによって。
 
 
それがプレイバックシアターです。
でも、大丈夫。
たくさんの成功を経て、
あなたは今日、ここに生きています。

プレイバックを受け取るかどうか、
それを決めるのは成長した、今のあなたなのです。





「プレイバック・シアター in かわなべ森の学校」

【開催日時】- 2012.2/4 (土):10時集合〜16時解散
【定員】- 15名(予約先着順となります)
【会場】- かわなべ森の学校(鹿児島県 南九州市川辺町 本別府3728-2)
【参加費】- ¥3,000
【持ち物】- お弁当とお飲物(近くに飲食店やコンビニはありません)。また、畳の上で座りながらのワークショップになる場合もございます。畳の上で寝っころがっても差し支えない格好でお越し下さい。
【講師】- 井上 和享 (かっくん)
プレイバック・シアター コンダクター
ちば県船橋市に生まれて育ち、みやざき県五ヶ瀬町に移り住み…。
あっちこっちでなんでもかんでもくっつけては笑ったり泣いたりしている毎日。
「劇なんてムリッ」!」な~んていう人ほどハマってしまうのが、プレイバック・シアター。みんなで自分を、楽しみましょう。

【当日、大まかな流れ】-
・身体と気持ちをほぐすじかん
・感じたことをわかちあうじかん
・プレイバック・シアター(託して、手放すじかん)

その他、授業に関するお問い合わせはこちらまで。
sakurajima.univnet@gmail.com


お申し込みフォームへ


【主催】
・NPO法人アースハーバー
・サクラ島大学


2012年1月4日水曜日

Hello , Again. あらためまして、 これからも。





あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。
皆様の支えのおかげで、サクラ島大学を無事に開校することができました。心より感謝申し上げます。

「Me,We.」あなたがいて、わたしたちがいる。

支えてくださる方がいて、私たちがいることを心から実感した一年でした。本年も、昨年同様になにとぞよろしくお願い申し上げます。


サクラ島大学

ワカツ旅

オモイデトラベル ~枕崎 行き~
「黒潮と太陽の街で、彼女とめぐるキヲクの旅。」


【オモイデ作文-6通目:安藤アンディさん】

「ワカツ旅」


人が、木と木を、擦り合わせる。ともる木屑のbaby。

ばちばちと鳴り、灰が飛び。あたたかさと明るさは、電気のソレと異なる。

揺れ、昇る炎と、顔を眺め、焼き芋を半分、食べる。

あのとき。旅と、出逢うことと、ワカツことの意味が変わった。

辞書に記されたワカツ。一つのものを離して二つ以上にする。分配する。見分けて決める。区別する。同じ感情をお互いに持ち合う。人と別れる。

その意味も、ほかの全ても。違く見える。

僕らは、ワカち、ワカツ。

過ぎた日、今、これから迎える日をワカち、いずれワカツ。

鹿児島中央駅から一つのバスに乗り、枕崎へ向かったアノ日のコトを思うと。

言葉を交わし、飲み、食べ、歌を聴き、踊り、飛行機に乗り、笑い、はしゃぎ、寝転がり、階段を上がり、祈り、花を見て、火を眺め、焼き芋をほおばり、黙り、歩き、海風に吹かれ、輪になり、奏で、歌い、走り、眠ったアノ日のコトを思うと。

思い出しても、思い出しても切りが無いほどに、僕らはワカち、ワカち合い、またそれぞれの一つへ戻ったのだなと、感じる。

そういうことのワカッた旅だった(←駄洒落)。


2011年12月15日

安藤アンディ (サクラ島大学 職員)


P.S.
夜空に流星をみつけるたびに
願いをたくし ぼくらはやってきた
どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ
必ず最後に愛ワカツ(KAN)


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2012年1月3日火曜日

オモイデ作文-5通目

オモイデトラベル ~枕崎 行き~
「黒潮と太陽の街で、彼女とめぐるキヲクの旅。」


【オモイデ作文-5通目:テツさん】

(※テツさん、短歌で思いをうたってくれました。


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それぞれの空気を持ちよる まっさらな白紙に朝の光はあふれる
  • 1集合時間。中央駅に八時半。行き先を知らされていない不安感とはじめましての緊張感がないまぜになっていました。
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音楽を信じるひとは空(くう)を見る 受け取るものはそれぞれでいい
  • 2いきなりのSHELTER。こんな小さなライブの、こんな離れたことろから、それでもちゃんと音楽を届けようとされていることに感謝をし、深く感動しました。みんなで歌った「上を向いて歩こう」。僕は、少し前まで福島に長く住んでいました。
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「いいでしょっ」と得意気に笑む彼女から陽だまりに似た父さんのにおい
  • 3地元の人でしかしらない風景、しかも絶景。中原公園。風が強く吹く中で彼女は、それはそれはうれしそうな自慢気な表情。お家でたくさん幸せだったからこそ、この街も好きなのだろうな。自分ふるさとの町に誰かを呼びたくなりました。
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「高倉軒って書いてあるよ」と笑いあう 遠くでたき火の木がはぜている
  • 4鳥居が二つある小さな神社。だいぶ、緊張も解けてきて、自分なりに、今いる枕先という街を知り始めていた頃。
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この土を口に含めばあたたかい 大人になるまで出なかった場所
  • 5僕は、東京で生まれ育ったが、小学校は電車で通学し、中学高校もまた違う所まで通っていた。友達も違う町に住んでいたし、遊びに行くのも電車を乗り継いで出かけていた。1つの街で育つという感覚って、きっと僕の知らない感覚なんだろうな。閉鎖されていた招魂塚幼稚園で思ったこと。
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君の住む街の匂いはわからない 呼応し紡がれ流れるキヲク
  • 6楽しくはなかった。感じる力、受け止める力が必要な旅。何て言うか独特。客観的に言ったら「学び」ってことなんだろうけど、こうやって旅を終えた今でも整理できないぐらいの感覚。“誰かの思い出”という切り口は、何を伝えたかったのだろう、と考え続けています。そういや噂ほどカツオの香りがしなかったなぁと、夕闇の立神岩を望む岬で、波の音と弾き語りを聴きながら。
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僕たちを待ってくれてる方がいてやがて見送るひとになる旅

  • 7振り返れば、ライブハウスで、枕崎空港で、鰹丼を食べた城山センターで、招魂塚幼稚園で、アースハーバーで、自分たちのために時間を作り待ってくれていた方たちがいる旅でした。お話をしてその方たちの想いや人となりを知って、最期には見送ってくれる“ひと”になっていった旅でした。枕崎は、出会いもたくさんあった街だったのだなと改めて思います。
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2012年1月2日月曜日

「オモイデトラベルにときめいて」

オモイデトラベル ~枕崎 行き~
「黒潮と太陽の街で、彼女とめぐるキヲクの旅。」


【オモイデ作文-4通目:坂元 美風さん】

「オモイデトラベルにときめいて」


はじまりは、トラベルチームのみなさんの熱い、熱い想いを聞いて。日常のそれとは違う、何かがはじまる予感がしたことを覚えています。この人たちならきっと、最高のおもてなしをしてくれるだろうと。
ひょっとしたら、私はその時点で、今回の旅にときめいていたのかもしれません。

彼女役のみなみちゃんの人柄も、時にそっと手を差し伸べてくれる仲間の存在も、羨ましいなぁって。見たものも、知ったものも、みんなで分けあい、不思議と幸せな気分が湧いてくる。思うままに動けたり、笑えたり、踊れたり。とても心地よくアクティブになれる。旅の経過とともに、わたし自身も変化していると感じました。

最後の最後、サトコさんの詩でついぽろりといきそうになったのは、ここだけのはなし。あの場所に行くと、きっとまた心が動くのだろうと思います。誰かのオモイデや、キヲクというフィルターを通した旅もいいなぁと思いました。

次は、自分の目と耳と足でなにか見つけに行こう。そんなエネルギーをもらえた気がします。
こんなにもヒトをドキドキさせたり、ワクワクさせたり、驚かせたり。予想外の出会いでした。オモイデトラベル、なんだか病みつきになりそうだな。


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オモイデ作文-3通目

オモイデトラベル ~枕崎 行き~ 「黒潮と太陽の街で、彼女とめぐるキヲクの旅。」

【オモイデ作文-3通目:羽生 航太さん】


私にとって、一番印象として残っているのは、生まれ故郷を思い出す幼稚園や、アースハーバー、場所としてのそれもそうなのですが、やはり素直に旅そのものを楽しんでいた自分がいたことです。また行きたいと帰りのバスでにやけたことです。
私は知らない人たちの中に身を置くのが苦手なので、正直行く前は変な緊張感でいっぱいでした。ただ、旅が進むにつれそんものはふっとんで、次はどこだろうと楽しみにしている自分、幼稚園でのみんなと話した共有の時間をすごく心地よいと感じている自分がいました。
貴重な場を設けていただいたサクラ島大学スタッフの皆様に感謝です。次の授業もががっつり期待しております(笑)それでは。


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私の枕崎トラベル

オモイデトラベル ~枕崎 行き~
「黒潮と太陽の街で、彼女とめぐるキヲクの旅。」

【オモイデ作文-2通目:時任有梨子さん】

「私の枕崎トラベル」


オモイデトラベル ~黒潮と太陽の街で、彼女とめぐるキヲクの旅。~
そんな素敵なタイトルが私をこの旅に誘ってくれた。旅好きな私だけれど、Why?なんて考えたこともなく、今回も軽い大人の遠足気分で参加。

でも、出発後まもなく学長や彼女からのプロローグに旅への私の価値観を考えてみる。私にとって旅は、日常から離れる楽しみもあるけど、知らない世界を知って情報や知識を蓄積して、いつか誰かと共有する・伝えるためのコミュニケーションツールなのかも。

そんな私は旅につながる場所として、ヒコーキも空港も大スキ。枕崎空港…存在は知っていたけれど、行くことになるなんて!みんなで滑走路をヨーイドン!なんて、まるで大学生の青春みたいで、ドキドキしたー。風が吹き抜けて、滑走路の先に見た直線のスケール感は、未来は自由で何でもできるような開放感を与えてくれた。
学長の“忘れ物ない?滑走路に。”そんな二度と使わない台詞を復唱する感覚は、いつもの旅じゃ味わえないキヲク。そうやって、ひとつひとつ彼女のキヲクとリンクして、私のキヲクになっていく。それを、いつかまた誰かと伝えあったり、共有したいと思わせるそんな旅だったな。


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2012年1月1日日曜日

オモイデ作文-1通目

オモイデトラベル ~枕崎 行き~
「黒潮と太陽の街で、彼女とめぐるキヲクの旅。」


【オモイデ作文-1通目:井ノ上裕理さん】


オモイデとして初めに浮かぶのは、いろいろな“音”です。招魂塚幼稚園に飛び交う元気な声、城山センターから聞こえる楽しそうな声、枕崎に響く時を告げる鐘の音。ミナミさんの言葉を通じて、心の中で私が想像したそんな音が、なぜか蘇ります。
それから、集合写真を撮るときや冗談を言い合ったときの笑い声、ひらけた空に吸い込まれたはしゃぎ声、優しく話しかけてくれる暖かい言葉、何かを伝えようとしてくれる話声、おなかが空いたときや、お昼を食べて眠そうなときのため息。みんなで歩くジャリの音、木をくべて燃える炎の音、バスの走る音。偶然出会い、一緒に旅をした人たちが生みだした音も大切な思い出です。

なぜ、音が一番記憶に残っているのか、辿ってみました。もしかしたら、BONさんのライブで始まった旅が、目より耳の冴えた一日にしてくれたのではないかと思います。それは、音楽というより、目の前で奏でる音と唄声と、手拍子と歓声とが、ワクワク感や緊張感とともに、音として耳に入ってきたのだと思います。そして、そのあと、招魂塚幼稚園で聴いたミナミさんのピアノには、現在の招魂塚や幼稚園の持つ閑けさが重なって、サトコさんのギターと唄には、風と波と夕暮れに包まれた音として、思い出されます。

どんな場面でも、笑い声が印象的なのは、案内してくれたミナミさんが、よく笑う人だからかな、と感じています。
今までの枕崎は、例えば、雄大に広がる海、心を奪われる不思議な立神岩、おいしい海の幸山の幸、鰹節の香りと、空港に着いたときに嗅いだような肥料の匂い、そんなイメージでした。それもたしかに枕崎ですが、今回の旅で、枕崎の持っている「音」も楽しんでみようと思いました。
枕崎は何もないよ、とよく言われます。東京には、確かに、モノも人も情報も、刺激的なものがたくさん溢れていて、魅力的だけど、新しくて冷たくて同じ様なものが多くて、枕崎の持っている、人の思いを感じるような一点ものの「記憶」が、うもれてしまっている気がします。私の生まれ育った街にもきっと、私が気付かなかっただけで、すてきなオモイデが眠っているはずで、これからそれを探せることに、ちょっとわくわくしています。


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